Kaigai Seikatsu Mates Association 「海外生活同窓会」
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●日本人の影響力
 日本人として日本で暮らしている限り、「日本人」ということを必要以上に意識する必要はありません。テレビや新聞で国際化とか、グローバル化などと言われても、体の底から感じるということは、普通の生活や仕事をしている上では無縁といっても良いでしょう。海外で生活を始めると、その国では外国人という扱いになりますから、今まで意識をしなかった日本とか日本人というものを考えるようになります。この国では日本人はどう思われているのだろうか?という疑問を探るうちに、その国と日本との歴史的な繋がりや、経済的、政治的な関係の流れを知るようになります。

 町中を走る車を何気なく見てみますと、カナダでは日本車の比率が40%、オーストラリアで90%、ニュージーランドに至っては95%だということに気が付きます。家電製品で人気があるのは、その全てが日本メーカーの製品です。短期海外旅行ですら、こうしたメイドインジャパンの威力を感じることができます。日本って国は不景気と言われているけれど、おやおや、これは案外スゴイ国なんじゃないの?と感じることができるのは、海外から日本を眺めた時なのです。日本製の商品は壊れない、信用が高い、ということもありますが、そうした製品を生み出す日本人に対する評価も、約束を守る、キチンとしている、真面目である、という評価です。

 海外の諸都市では、その国の人がアパートや一軒家を貸すとき、相手が日本人だと安心して契約に応じる、と言います。その理由は簡単で、日本人は約束通り家賃を払ってくれるからだということです。約束を守る、というルールを意外と守らない人種が多い中、日本人は世界的にも約束を守る信用できる国の人間だと思われています。

 日本人の信用度の高さ
 (1)約束を守る。
 (2)真面目である。
 (3)支払いがきちんとしている。
 (4)争い事を好まない。



 私がケロウナに移住した当初のことです。私たちが借りた家の庭は、玄関と正面道路の間に車が縦に2台並ぶほどの面積で広がり、そのまま家の真横までつながり、さらに裏側まで緑の芝生が敷き詰められていました。たとえ借りた家であっても、庭廻りの手入れは怠らない、ということをケロウナに住む友人にアドバイスされていた私は、芝刈り器、ホースやシャベル、花壇に植える苗木を購入し、毎日のように妻と二人で庭いじりをしていました。

 やがて毎日のように近所に住んでいる人たちが、声を掛けてくるようになりました。最初は、よくある挨拶なのだろうな、と思っていましたが、やがて彼らの意図が何であるか、私は敏感に察知しました。彼らは決まって「どこから来たのか?」と訪ねてきます。私が「日本から移住してきました。」と答えた瞬間、彼らの笑顔が安堵の表情に変わりました。日本人であることが、彼らに安心感を与えたことは確かなようです。

 私たち日本人がそれぞれの国に抱くイメージがあるように、カナダ人もそうしたイメージを持っています。日本人に対しては、「約束を守る」、「まじめである」、「清掃観念を持っている」、「支払いがきちんとしている」、というイメージが強いのです。これが中国人になると、かなり厳しいイメージに変わるようで、まず庭廻りの維持、整備をしないということが決定的となります。中国人の考え方は、お金をかけて庭の整備をしても、金銭的に何の得にもならない、ということだそうですが、カナダ人がこれを容認できない理由があります。

 カナダの住宅街というのは、その住宅街全体が不動産価値として計られます。つまり、たった一軒の家がだらしなかったために、住宅街全体の価値が下がるということが往々にしてあるのです。従って住宅街に住む人々は、自分の庭廻りを美しく保つことはもとより、隣近所の家が、環境美化に取り組んでいるかということを気にするわけです。隣の家が汚くしていれば、結果として自分の家の価値もいっしょに下がる懸念があるのです。

 家の価値が上がるということは、売却時の不動産価格が上がるということだけに留まらず、市場で人気が高まるために、売ればすぐ買い手がつく、ということになります。反対に家の価値が下がるということは、不動産価格も下がり、人気も低くなるため、買い手がつきにくい、という悪循環になります。この優劣は、一にも二にも住宅街全体のイメージに連動します。

 従ってカナダ人は、自宅を単なる住む場所ということだけでなく、保有財産として考え、財産保全を意識しているのです。日本から旅行でカナダに来られる方々が、こうした住宅街を見ると、決まって「きれいですねえ。どうしてカナダの人たちは、こんなにきれいにできるのでしょう?」と感心すると同時に疑問を抱かれますが、答えは簡単で、自己財産の保全のためであり、もっと言えば財産の運用および利殖のためです。

 私たちが日本人だと知って、安堵した彼らの真意はそこにあったのです。日本人なら、最低限のルールは守ってくれるだろう、庭はきれいに保つだろう、環境を乱さないだろう、という不文律を彼らが持っていたからです。

 明治時代初期からカナダには多くの日本人が入植しました。ケロウナにも大正末期から昭和初期にかけて、たくさんの日本人が入植し、一説によるとその当時の日本人の数は3000名を越えていたと言われます。その当時の日本人の功績をたたえて、日本名がケロウナ周辺の地名になっている所もあるほどです。こうした先人たちの辛酸を舐めたであろう厳しい過去の時代から今日に至るまで、築き上げられてきた「日本人」というイメージを、後発の私たちは安易に享受しています。このことをありがたく受け止め、感謝しなければ、という気持ちが高まってきました。

 それから1年半後に、私たちはケロウナ市中心部のオカナガン湖畔にコンドミニアムを購入して引っ越しましたが、この借家に住み続けた間中、私と妻は「日本人が来てくれて良かったね。」と隣近所のカナダ人から言われるために、毎日せっせと庭いじりをしていたのです。


 また、日本人であるのですから、海外で生活する上で現地の方々と交流するときに、自分なりに日本という国をしっかり相手に語れることが、海外生活で必要な要素です。いくら英語が流ちょうにしゃべれたとしても、日本について基本的な情報を持っていなかったり、自分なりの価値判断からの意見をキチンと言えなければ本末転倒です。
 
 日本人は世界の国々の人々から信用されているとした場合、それを裏付けるための行動や知識を兼ね備える必要があります。世界に出たときに、自分の国を語れないほど情けないものはありません。そして、間違っても「私は日本は嫌いです。」などということを、威風堂々と口にしてはダメです。

 以前、知人からの依頼で、ケロウナに日本の高校生が単身でホームステイにやってきました。日本の高校では英語科に通っていたその女の子は、完璧と言えるほどすばらしい英語を話す生徒でした。本人も自信満々で、さっそく到着した日から、カナダ人の家庭にホームステイをしたのです。

 ところが、3日ほど経ったある日、ホストファミリーが私に電話をしてきました。その女の子が、部屋から全く出てこないので、困っているというのです。私は早速、その家に伺い、彼女に理由を尋ねました。彼女は、「英語で全く会話が出来ない」と泣いてばかりです。信じられませんでした。あんなに完璧な英語を話すのになぜ?

 彼女の話によると、ホストファミリーから、

 (1)あなたの町の人口はどれくらい?
 (2)あなたの町の主な産業は何?
 (3)あなたの町には、学校がどれくらいあるの?
 (4)あなたの町の歴史を教えて


 というような質問をされたのだそうです。もうお分かりの通り、彼女は英会話は出来ても、答えられる知識が無かったのです。さすがにこれでは会話になりません。「I don't know」だけを繰り返すうちに、いつしか会話も無くなっていきます。

 このように、それぞれの国の人は、必ず日本という国、あるいは住んでいる町について尋ねてきます。そのときに答えられるだけの基礎知識をもっていないとなりません。海外で生活をしていると、自分なりに日本を語れないほど、情けないものはありません。それぞれの年齢に応じた、自分なりの観点で日本を語って頂きたいと思います。


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