Kaigai Seikatsu Mates Association 「海外生活同窓会」
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●語学力の不安とは?

 私たち日本人が抱く英語コンプレックスというものは、ある意味どうしようもないものだと思います。言い方を変えれば、潜在意識の奥まで植え込まれてしまったものです。日本の学校教育が悪いとか、文部科学省の責任だ、と今さら言ってみても何も変わりませんし、仕方の無いことです。そこで、まったく別の角度から開き直った考え方で英語に向き合ってみます。

 <疑問> 英語は国際共通語だというのは本当なの?
 確かに、英語は国際共通語となりえる言語であり、私たち日本人が世界を旅行した時に、カタコトでも何とか英語が通じれば安心だと思っています。ではなぜ、それが英語になってしまったのでしょうか?なぜ日本語じゃ駄目なのでしょうか?英語にコンプレックスを持つ日本人の一人として、勝手な推論を開き直った心境で記しますと以下のようになります。


 (1)中世は英語じゃなく、ポルトガル語スペイン語が世界の共通語だったのに・・・
 (2)日本の医学の礎となったのはオランダ語の医学書だったのに・・・
 (3)旧大日本帝国憲法はドイツを見本とし、ドイツ語が基となったのに・・・
 (4)第二次大戦後、アメリカが台頭して、英語の活用性が広がって・・・
 (5)アメリカ文化が急速に日本に染み込んでしまって・・・
 (6)世界で一番多く話されている母国語は英語よりも中国語スペイン語なのに・・・
 (7)コンピューター言語が英語になってしまって・・・
 (8)アメリカの押し付け主義が近年ますます激しくなって・・・
 (9)いつの間にか英語が世界共通語のような雰囲気になって・・・



 英語という言語の存在を、正面から否定してみると、いろいろなことが見えてきます。そして、英語にコンプレックスを持つ私たち日本人に向けた様々な仕掛けが用意されているのです。それらは、すべてお金と時間を要することとなり、特に英語コンプレックスを巧みに刺激しながら、お金を吸い取っていくのです。


 (1)語学留学やホームステイ
 今の時代、少々の英語を話せたところで、それがキャリアになると思ったら大間違い。英語がしゃべれるから就職に有利などというのは大昔の話であり、現代の日本社会にはまったく適合しません。ある程度の年齢に達した方は、すんなりと理解できると思いますが、問題は若年層の感覚です。英語だけがしゃべれても企業はまったく見向いてくれない、ということに気がつくべきです。
 本人が気がつかなかったら、ご家族が苦言を呈するべきです。企業の側に立ったつもりで考えてみると分かりますが、英語がしゃべれる人材が欲しいと思えば、それにみあった人材を派遣会社に依頼すればいいのです。英語がしゃべれる人で派遣会社に登録している人は、一体どれくらいの数になるでしょう?運良く派遣社員として仕事に就いたとしても、所詮は時間給か日給という不安定な立場でしかありえません。ここまで説明してもなお、「英語がしゃべれれば日本の企業が高給待遇で私を迎えてくれる!」と思いますか?

 (2)英語会話学校
 これに関わる話は数多くあります。日本人の多くは、「資格」と「学校」という言葉にとても弱い民族です。英語に関して言うと、「英語学校」、「ホームステイ」、「白人の先生」というところでしょうか。そして日本人は極めて真面目な国民性なのです。この真面目は、良い面でもあり、また悪い面でもあります。真面目な日本人はお金を払って学校に通おうとします。そして勉強するという意味を、学校に行くということと同意語に捉えてしまいがちです。そして英語を身につけるということもまた、勉強することであり、学校に行くことだと馬鹿正直に考えてしまいがちな国民なのです。
 いくら英語学校に通っても英語は上達しないのです。中学と高校で6年間も英語を勉強したのにまったくしゃべれなかったのは何故だろう?と自問自答してみると分かると思います。それなのに決して安いとは言えない授業料を支払ってまで、英語学校に通うというのは、裏返せば深層心理に焼きついた英語コンプレックスが消えていない、ということなのです。英語を本当に身につけるのなら、この英語コンプレックスを消さないと駄目なのです。と言っても、日本で英語学校に通っているうちは、残念ながらそのコンプレックスは消えることがないでしょう。


 (3)児童英語学習塾と教材
 これが一番やっかいな内容です。少子化が叫ばれ久しいですが、子どもの数が減る中、一人にかける教育費の増大は目を見張るものがあります。中でも、子供向けの英語学習教材や英語塾が注目されています。現在、子供をお持ちのご両親の年代は、ちょうど私と同じ世代ですから、英語コンプレックスの塊のようになっていると思います。
 親が英語に対するコンプレックスがあるあまり、せめて自分の子どもには英語をしゃべれるようにさせたい、と願う親心なのですが、やっていることは文部科学省の英語教育の輪の中で踊っているだけ、と言えば言い過ぎでしょうか? いや、多少言い過ぎるくらいでないと、私たちの世代は気がつかないのです。公立学校であろうと、私立学校であろうと、駅前留学であろうと、子どもに英語を身につけさせたい、と願う親は英語コンプレックスの塊になっている私と同じ世代の方々ですから、英語を身につける具体的な方法がわかるわけがありません。Aという英語学校と、Bという英語学校のどちらにしようか?と考える程度でしょう。

 私共夫婦には子供がおりませんが、私には、妹の子供で4人の甥と1人の姪がおります。毎年、春と秋に仕事で日本に出張するのですが、ひまを見つけて長野の実家に顔を出します。元気な盛りの甥、姪に会うのが楽しみなのですが、以前、妹が「お兄ちゃん、子供たちを英語塾に通わせたいんだけれど、どう思う?」と相談されたことがあります。私は迷わず、「止めろ止めろ!子供たちをそんな学校や塾に通わせちゃ駄目だ。逆に英語がしゃべれなくなる。」と即座に反対しました。
 子供がやりたいことをやらせるべきで、甥と姪たちは、空手や水泳をしたい、というのでそれらをやりたいだけ、やらせていますが、大人の役割は、「どうやったら興味を持たせてあげられるか?」ということと、子供がそれを望んだら、「やらせてあげられる環境を作ってやる」ということであり、無理やり英語学校に通わせたり、子供用の教材で興味を押し付けることではありません。

 ここで極論を言います。

 (1)日本の教育システムは残念ながら改革できない、と覚悟したほうが良い。
 (2)どっちみち、中学に行った途端、子供たちは全員、英語が嫌いになり興味を失う。
 (3)それは子供が悪いのではなく、日本の学校システムの問題と教員の質の低さの問題。
 (4)せっかく幼少期から英語塾に通っていても、ここですべてが無駄になってしまう。
 (5)学校に頼らない、学校に責任を転嫁しないで、親が子供にどうやって英語に興味を持たせるか?


 この謎解きだと思います。ですから、子供を親の勝手な都合で英語学校に通わせても、それは親のエゴ、見栄、自己満足であり、反抗期がはじまる中学生になれば、子供は一斉に放棄し出します。何故なら、興味のないものはやりたがらないからです。

 私は、甥や姪たちに英語を身につけてもらう責任を感じていますので、私なりの方法で彼らに英語を身につけてもらおうと考えています。責任を感じると言うと大げさですが、つまり私の楽しみなのです。「こうやれば、こうなって、きっとこうなるはずだ。」という私なりの方法論の基、彼らに英語に対する興味を持ってもらい、黙っていてもそれなりのレベルまでに仕上がっていくと思います。彼らにとって必要な環境を整えてあげたい、というのが私の楽しみとなっています。


 英語に対するコンプレックスを自分で確認して消去する
 英語に対する不安とは、つまり私たちが無意識のうちに植え付けられてしまったコンプレックスなのです。どんな方法でも構いません。皆さんの心にある英語コンプレックスを何としても消してください。そうすれば、すごく気持ちが楽になります。恥ずかしながら、私のコンプレックス解消方法がどんなものだったか、これをお話したいと思います。

 ある時、英語をしゃべる日本人の共通点に気がつきました。それは日本語をしゃべる特徴が、そのまま英語になっているという単純なことでした。

 (1)早口な人は、英語も早口になる。
 (2)やさしい口調の人は、英語もやさしい口調になる。
 (3)大阪弁の人は、英語も大阪弁になる。
 (4)方言のある人は、英語も方言になる。
 (5)無口な人は、英語も無口になる。


 つまり、ふだん話している日本語が、そのまま英語になっているのです。ということは、必要以上に発音に気を取られたとしても、実際にしゃべった英語は、日本語がそのまま英語になっているに過ぎないのです。私はこの時、発音はどうでもいいと開き直り、日本語をしゃべるつもりで英語を話し出しました。結果的に、そのほうがおかしなプレッシャーが無くなり、スムーズな会話ができるようになりました。英語コンプレックスは誰にでも同じようにあると思います。そのコンプレックスから開放されると、今まで抱いていた英語に対する不安が無くなります。



●ある友人の告白

 カナダに住んで8年になる日本人の友人から電話がありました。彼女の悩みを聞いた時、私は大いに考えさせられました。この女性はカナダ人の男性と結婚し、2人の子供を持つ活発で明るい日本人女性です。この彼女はカナダのスターバックスコーヒーで働いています。たまにお店に行くと、緑のエプロン姿で他のカナダ人スタッフと一緒にバリバリ働いています。その姿は本当にカッコ良く、海外に憧れを抱く、同年代の日本の若い女性から見れば、うらやましいほどの姿でしょう。

 この彼女は、小学校の時から英語を学び、中学の時には既に日常英会話に不都合は無かったといいます。英語が好きだったのでしょうね。高校ではさらに英語に磨きをかけ、卒業後にカナダに留学。もっとも、留学する前から英語は完璧だったそうです。ネイティブと同じ英会話力を持ち、スターバックスで働いている時も、もちろん完璧で綺麗な発音の英語で仕事ををこなしています。このバイリンガルの彼女が、「英語だけの生活じゃ疲れちゃって・・・」と言うので、私はびっくりしました。英語が通じないから気疲れする、という話はよく耳にしますが、英語が出来すぎるあまり、それ以上の気遣いをするための気苦労なのでしょう。

 このことは、英語が通じる通じない、しゃべれるしゃべれない、というような安易な問題ではなく、精神的に落ち着ける言語、リラックスできる言語の世界、と考えてみると分かりやすいと思います。私たち日本人は、日本で生まれ,日本語を母国語にして育ってきました。当たり前のことですが、私たちがもっとも得意とする言語は日本語です。また、日本語以外の言語であるはずがない!と強く断言できてしまうほど確実な回答が導き出されてしまいます。そして、多くの日本人は、英語がしゃべれないから不安だ、などと否定的に考え始めてしまうのです。


 (1)自分が一番得意とする言語は何語?
 (2)自分が一番ほっとする、一番安心できる言語は何語?

 (3)日本人と関わらず、海外で生活ができるのだろうか?

 彼女はスターバックスを辞めて、日本語で会話ができる仕事に切り替えたい、という希望だそうです。よく海外生活を目指す人の中に、英語上達のために日本人とは接したくない!という人がいるのですが、実際に海外で生活をすると日本人でありながら、日本人と関係を持たずに生活ができるというのは無理な話です。海外生活はそんな甘いものじゃありません。もし、本当にそう思っている人や、心からそれを望んでいる人がいるとしたら、あまりにも現実を知らなさ過ぎると言えます。この彼女の話を聞いて、海外で生活すると言っても、日本人である以上は母国語で話せる環境も重要なのだなあ、と痛感しました。英語を上達させる環境と、日本語を使える環境のバランスを保っていないと、精神的に疲れてしまうのだと思います。


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